障害理解は障害特性を理解すること。それは障害者の思考や行動を理解する役にたつけど、障害者理解ではありません。障害の有無を問わず他者を理解するには交流が必要。それを端折って、障害者個人を障害特性に当てはめるようなことはあってならない。それは「あの人は●型だから」と血液型で一括りにしてしまう失礼さと変わらないと思うのです。
健常者同士でも相互理解は困難。 他者理解は困難という前提の欧米文化と、同類だからわかるでしょという前提の日本文化の差。前者はじっくり対話し、後者は汲み取ってあげる。「わかる~」って言うけど実はハッキリわかってないことが多い。束の間親しくなっても勝手な誤解は後々溝を作る。本当に親しくなりたいなら深掘りするのが吉。とはいえ急に踏み込むと角が立つから気をつけないね。 話を戻して、障害特性がレッテル貼りに濫用されないようにしたい。 日頃から多くの人や文化と接する機会を増やして、むやみに思考停止せず、じっくり対話を続ける習慣が広まれば良いよね。焦らず、徐々に解像度を高めるような対話。それが他者との交流に大事で、互いに楽しめることだと広めたい。障害の有無は関係なくできるでしょう。 障害者理解ではなく他者との交流。それが異文化理解の第一歩。 異文化を知れば、他者を知れば、自分を知れる。自信になる。 |